とにかくできる限り走りたい。ただひたすらに。またサッカーが、楽しくできるように週刊サッカーダイジェスト 2006年8月1日 No.854 中澤祐二「”一時停止”を解く答えを探して」より
1年ぐらい前の話だったと思う。少年サッカーのコーチと話したときのことだ。
「最近、ディフェンスをやりたいって子が増えている気がします」
コーチはそういって首をかしげた。
「昔は、そういう子は滅多にいなかったんですよ」
なぜですかと聞くと「中澤のせいだと思いますよ」と答えた。
宮本のせいじゃないんですか?
僕が反論すると、そうではないとコーチが笑う。
「お母さんですね、そっちは」
ああ、なるほど。
「でも自分の息子にディフェンダーになってほしい、と母親が思っているか、それは怪しいですね」
要は勉強ができて、イケメンな息子であってほしいということか。確かに母親の視点なんて、そんなものかもしれない。
「あんなにヘディングばかりして、頭が悪くならないのかしら?」
本気で心配する母親をよそに、ボールを跳ね返し続ける中澤を、子供たちはじっと見つめている。
中澤はなぜ日本代表にいるのか不思議な経歴だ。ブラジルに留学経験があるといっても、何か目立った成果を残したわけでもない。トレセンにも、選抜にも、高校選手権にもひっかかっていない。
「最初はサッカーではなく玉蹴りだった」
テスト生として入団した中澤をプロデビューさせた、元ヴェルディ総監督の李国秀氏の言葉だ。
誰もその不器用な男が、日本代表になるとは想像もしなかったはずだ。
「僕、ディフェンスをやってみるよ」
そう言って手を上げる子がいる。
「僕、下手だけど、がんばって中澤のように代表になりたいんだ」
そう言う子がいる。
中澤と同じように、ゴン中山も、巻も、決してサッカーが上手いわけではない。日本代表という椅子は、サッカーエリートの子だけが座るわけではないのだ。
子供たちは中澤と代表に強いシンパシーを感じている。中澤は夢をあきらめなかった。僕だって、その場所を目指してもいいかもしれない、と。
その中澤が、代表はもういい、と言ったという。
「中澤 代表引退」というスポーツ新聞の見出しを見て、僕は少しの間、言葉を失った。
いったい、中澤祐二の中で何があったのだろう。
ドイツワールドカップ以降、中澤祐二はテレビに時々顔を出している。まるで罪を犯した人のような笑顔のない表情で、静かにインタビューに答えている。
中澤祐二がいない日本のディフェンスライン。今の代表ではちょっと考えるのが難しい。中澤祐二は間違いなく、日本代表にとって、無くてはならないピースの一つだ。
中田英寿も引退した。彼の引退は、サッカーを愛している恋人にたとえれば、ちょっと格好のいい別れ方だ。
「しばらく旅に出ることにする。僕が成長した後に、また会おう。次に会ったときには、もっとお互いを好きになっているはずだよ」
トレンディドラマのような雰囲気だ。
中澤祐二の日本代表との別れ方は、中田とはぜんぜん違う。
「好きだよ。好きだけど、このまま一緒にいてもお互い不幸になるだけだよ」
こんなに好きなのに、なぜ、楽しくなくなってしまったのだろう。いつも一緒にいすぎて、知らぬ間に、二人は互いを傷つけあってしまっていたのかもしれない、、、、と。
日本代表という恋人との間に、いったい何があったというのだろう。
日本代表に憧れ、ワールドカップに憧れた中澤の夢は、すっかり重い荷物に変わってしまった。
代表とは、それほど辛い場所なのだろうか?
思わず、そんな複雑な問いかけを、中澤に聞きたくなる。
中澤はサッカーをやめたわけではない。
今の怪我が回復すれば、またマリノスのピッチにたつ。
今はクラブに専念すればいい。クラブ、それも優勝争いが義務付けられているクラブと日本代表を切り替えるのは、並大抵のことではない。代表、遠征、そしてクラブの連戦は、中澤祐二から多くのことを奪っていったことだろう。
中澤にプレッシャーを与えるつもりは毛頭ない。
代表はしばらくお休みにすればいい。
少し休んで、気持ちを整理して、そしてもう一度、愛すべきサッカーときっちり向き合う時間を持てばいい。
それでも僕は、中澤にいつかまた、日の丸がついたブルーのユニフォームを着て欲しいと、そう思う。
日本代表がやっぱり素敵な場所で、そしてその夢がかなった喜びを、もう一度中澤から感じ取りたい、とそう思う。
「僕、ディフェンダーになりたいんだ」
代表の中澤祐二を見て、そうやって手を上げる子供たちがいると、誰か中澤にそう伝えてくれないか?
コメント
出きれば日の丸を着けて戦う、ユウジの姿が
もう一度見たい。最近の試合を見てると、
一度は消耗してしまった、中澤オーラが
少しずつ戻ってきてる気がしてます。