勝つことにはさまざまなことが含まれている。ただ勝ってしまえば、そういうことは見えない。敗北は最良の教師である。「だから負けたい」とは言えないのだが….イビチャ・オシムの言葉 「また蹴球真髄」より
アジアカップが終わった。
最後の決勝戦、イラク対サウジアラビアは、実力の拮抗した試合だった。ほんの少しだけイラクの気持ちが上回った。イラクの優勝はそういう結果に見えた。
決勝戦を見ていて、やっぱりというか、当たり前というか、アジアカップのどの試合も、気持ちの上回ったチームが勝利したという感じがする。
日本がオーストラリアに勝ったのは、ここで負けたら日本のサッカーやばいぞ、という気持ちが日本側にあったからだ。
ぼろぼろの韓国が日本に勝ったのも、もともとの対抗意識に加えて、審判が生み出した負のスパイスがエネルギーになってしまったからだ。
一方、日本と対峙したサウジアラビアは、王室がプレッシャーを与えていたと聞く。オーストラリアに勝った満足感が残る日本を上回る「勝つ理由」があった。
そんなサウジ王室のプレッシャーを超える「気持ちの力」をイラクが見せた。
「オレタチハココニイル」という叫びと喜びのようなものが、イラクのチームからは聞こえてきた。
イラクといえばU-23の親善試合(平山がゴールを決めた)で、2004年の2月に見た記憶ぐらいしかない。そのときも、躍動感のあるとてもいいチームだと思った。スタジアムにすごく爽やかな感じが残ったのを記憶している。
また、手ごわい相手がアジアの強豪に名を連ねた。
日本代表のオシム教室は一定の成果を上げた。ベストフォーは評価していい。
前回のジーコ組のサッカーよりは質の高いサッカーを見せた。その点には同意する。
負けた試合とはいえサウジアラビア戦が、今の日本代表の「よいサッカー」を表現した試合だった。あの試合で終わっていれば、オシムの「よいサッカーをした」という話にも説得力があった。
しかし、韓国戦の敗北を見た後では、違和感の方が大きい。
「よいサッカーをした」
理屈ではそう思う。頭ではわかっている。
でも結局は「代表としての意地」みたいなものは、感じられなかった。
闘莉王と播戸を欠いたメンバーのメンタル面も大きかったように思うし、コスモポリタンな監督が、代表としての意地や気持ちの面までは、注入できなかったのかもしれない。
オシムのコメントが、微妙に協会の評価軸「結果ではなく中味で評価する」をなぞっていることも気になった。協会も僕らも、オシム以上にしたたかになる必要があるようだ。
結局、最後に韓国に負けて、アジアは精神力の戦いだ、という当たり前の思いを強くした。
誤解を恐れずに言えば、オシムは負けるのが好きな監督だ。
もちろん彼が負け癖のある監督だとか、負けるために闘っているなどというつもりはない。過去の戦績を見たとき、そんな男でないことはわかっている。
それでも、負ける痛みを身体ごと受け入れ、負けた時こそ真実が見える、という姿勢で、負けを味わいつくす感じは伝わってくる。
オシムは「負けても得るもの」を考え抜いて、あのスタメンと交代で臨んだのだろう。
その意味で、今回サウジアラビアと韓国に負けたことは、オシムにとって得るものが大きかったはずだ。
彼が今回の闘いをどう分析しているだろう。
恐らく、必要な選手について再考をしているだろうが、僕の勝手な想像では「アジアの闘い」と「世界基準に照らした進歩」のギャップの中で悩んでいるのではないだろうか?
オシムがこの大会を通じて、どうアジアを受け止めていくのか、はたまた本来のサッカーとは遠い現実にうんざりしてしまうのか、それによって、今後のオシムの日本代表の監督としての寿命や結果が決まってくるだろう。
アジアにはアジア仕様の戦いがあって、それはヨーロッパや南米を前にした戦い方とは明らかに違う。
ジーコはむしろ、アジア仕様の闘い方にフィットした。サッカーの質がたとえ低くても、気持ちさえ上回れば勝てる、というのはアジアでは真実だった。
オシムはどうもそれにフィットしそうもないが、逆にきっとワールドカップの本大会になれば、歴代の代表監督を超えて、オシムの方が力を発揮するだろう。
理屈の上では、オシムが最適な監督だ。それは頭ではわかっている。
それでも、残る違和感がある。
理屈の通らないアジアで果たして勝てるのだろうか?
いや、多分、オシムという指揮官のもとで(あるいは次の指揮官のもとでも)、ワールドカップのアジア予選は、相当に厳しいことを覚悟しないといけない、と僕はそう思った。
まあいいさ。考えてみれば、苦しいワールドカップ アジア予選も久しぶりだ。日韓の時には予選が免除された。ドイツのときはレギュレーションがゆるかった。
今度は本物だ。いよいよ、本当に苦しいアジア予選がやってくるわけだ。
それはちょっとサポーターとして血がタギル感じがする。
今回アジアカップをテレビで見ていて、(オーストラリア戦とサウジ戦だと思う)観客席から女性が選手に向かって呼びかける声が、かすかながら、ずっと聞こえていた。
「カジー」「ナカザワー」と叫ぶその声を聞きながら、その声の主が羨ましくもあった。
「気持ち」を選手に注入するのは、監督だけの役割ではない。
サポーターにできることの一つは、ピッチ上の選手たちの意識を目覚めさせることにある。オシムの理屈に引っ張られて、そのことを、今回はすっかり忘れていた。
ベストフォーなのに敗北感がいっぱいのアジアカップから、僕なりにつかんだこと、その一つはサポーターとしての自分の役割だった。
コメント
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考え過ぎではないですか?! 「アジア仕様」とか「世界基準」とか・・・、それならブラジルやアルゼンチン、フランスやイタリアがアジアの強豪国(今回で言えばイラク・サウジ・韓国・・・)と対戦したら、「アジア仕様で勝ちましょう!!」とか「世界基準とは違うサッカーで戦うぞ!!」とかいうことになりますか!? 結局、「いかにサッカーを知っているか」「どんな相手でも通用する個人戦術・チーム戦術を持っているか」であり、日本っぽく言えば「サッカー道を極める!!」みたいな精神力が、最後は勝敗を決めるのではと思います!! 近年では、その求道者の典型が中田だったのでは!?(中田がいいとか悪いとか、代表復帰して欲しいとかいってるのではありません!!)