フットボールはどんなゲームでも激しい。それだけに一瞬でもゲーム中に「美しさ」があるというのは良いことだと思います。デニス・ベルカンプ インタビュー プレミアシップマガジン2003年3月号
本を一冊書き上げた。といってもサッカーの本ではなく、バリバリのインターネットのノウハウ本だ。ちょっと宣伝だが「できる100ワザGoogle Analytics」という本で、アクセス解析をするノウハウを書いた。
僕は、こういう本にもサッカーのことを何とかして盛り込もうとする。
前回の本「できる100ワザSEO&SEM」(これも超ノウハウ本)の時、担当編集者はサッカーを知らなかった。
「大内さん『バルセロナ』を普通の人はサッカーチームのこととは思わないですよ」
てなやりとりがあって、僕がさりげなく忍び込ませるサッカーの言葉を校正の段階ではずしていく。
「そっか、普通の人はバルセロナをサッカーチームとは思わないんだ」とうなだれる。
今回の編集者は、やはりサッカーに詳しくないようだったが、僕の「忍び込ませ」に寛容だった。ネットのノウハウ本なのに、阿部勇樹も、小野伸二もさりげなく入っている。
校正の段階になって編集のアシスタント君が「ちょっと質問なんですが」と切り出す。
「この『美しいサッカーと勝つためのサッカー』ってありますよね」
「はい、それが何か?」
「反対の言葉って書いてありますが、これって反対でないと思うんですが?」
ちょっと説明が必要だ。
アクセスを増やすためにはウェブページにつける題名が重要という説明のときに、対立する言葉、反対の言葉を並べるとよい、ということで文例を書いた。
「美女と野獣」「good times and bad times」まあ、「ガラスの仮面」なんていうのも、対立するものや共存しえないものをワザと並べている例かな、と思う。
そこで僕が挙げた文例が「美しいサッカーと勝つためのサッカー」だった。
編集者アシスタント君は続ける。
「勝つためのサッカーの反対は負けるためのサッカーですよね?」
うーむ、そう言われればそうなんだが、、、、
「美しいサッカーをすると勝てない、とか、勝つことに徹するとサッカーが美しくなくなるとか、そういうのがサッカーの世界では言われてまして・・・」
「はあ、そうなんですか」
寛容な編集者の計らいによって、その「例文」は残されたのだが、ちょっとそのやりとりを時々思い出す。
「そうだよな」とも思う。美しいものと勝つものが共存しえない、なんて…
話は変わる。
アジアカップの日本代表が、前向きな要素を残しつつも、スカッと来る結果ではなかった。どうもここしばらく日本代表にモヤっとすることが多く、そういう時は決まって手が伸びるDVDがある。
一つはピクシーのDVD、それともう一つがデニス・ベルカンプのゴール集だ。
今回もオシムと日本代表の暑く湿気の多い旅が終わると同時に、ベルカンプのDVDに自然と手が伸びた。
僕ら家族はデニス・ベルカンプが好きだ。
彼のトラップと、そこから作り出すゴールまでの道を「神だけが見える道」と呼んでいる。「絶対にシューズとボールに特殊な装置が入っている」と主張する知人がいるが、ベルカンプのトラップはまさにそんな感じだ。
2002年のニューキャッスル戦で決めたゴールは、あまりにも有名だが、何度見ても、どうなっているのか、さっぱりわからない。
ベルカンプは、ディフェンスを背にして、長いグランダーのパスをポストで受ける。ボールをトラップした時に、両手を広げたと思ったら、くるっと回るのだが、ベルカンプは彼自身が回る方向とは逆にボールを送り出す。
ディフェンスは、なんとかボールを捉えようとするが、次の瞬間にはもうベルカンプが正面を向いて、自分に背中を見せている。
ディフェンスが追っていたボールはいつの間にかベルカンプの足元にあり、ゴールキーパーと対峙してシュートを流し込む体勢に入っている。むなしくスライディングをするが、ゴールは綺麗に決まってしまう。
そのセンターバックは、ひどく取り残された気分になったことだろう。さっきまでぴったりと身体をつけていた相手が、まるでディフェンスなど存在していなかったかのように、ゴールを決めているのだ。
フットボールはどんなゲームでも激しい。それだけに一瞬でもゲーム中に「美しさ」があるというのは良いことだと思います。私は周りから言われているように、特に試合で「美」を追求しているわけではありません。ただ、プレーの美しさはあるに越したことはないですよね。華麗なプレーをするには、まず自信がなければならない。ですから、私は試合中に自信を持ち、私ができることのすべてをしようと考えています。
もし、私が華麗なプレーを披露しているように見えるのであれば、その結果なのかもしれません。
「勝つためのサッカーと美しいサッカーって反対じゃないですよね」
そう編集のアシスタント君に言われた。
ベルカンプのゴールを改めて見た僕にとって、編集アシスタント君の言葉は、正しいこととして響いてくる。
二つは対立するものでもなく、ましてや二つの共存を目的化するものでもない。
ベルカンプも「美しいサッカーをしよう」とは思っていなかった。ゴールを目指した結果として、美しさがあって、勝利があった。自分にできるすべてのことをした結果だと、そう言うのだ。
ベルカンプがいた時代のアーセナルは、勝つことと美しさが結果としてそこにあった。
今年もプレミアのシーズンがはじまった。ベルカンプが引退してしばらく時間が過ぎたが、彼の不在はやっぱり少しだけさみしい。
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