末っ子の遠藤保仁が日本の先頭に立っている

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「戦い方は十分に通用したと思う。このスタイルで間違いない」
マンU戦後の遠藤保仁のコメント

遠藤保仁は男ばかりの三兄弟の末っ子だ。そのことに僕は、なんとなく納得いく部分がある。「末っ子だからああなんだ」という見方は安易だろうか? 
でも、どこかで兄弟構成と、その人を結びつけて考えたくなる。
僕が知っている三男坊の末っ子は身近に二人いるが、二人とも兄たちのことをよく見て育った。鋭い観察眼を持って「あんなことやったら怒られるに決まっている」そんな目で、兄たちのやっていることを冷静に観察してきた。
それに加えて「自分らしい道を見つける」という共通点もある。一つ下だと兄を意識しすぎるが、末っ子は兄たちを、冷静に見つめられるポジションにいる。
あまり自己主張をせず、兄たちの助けも借りない。表面には出さないが、自分の進むべき道をしっかりと見つけ、最後は自分のポジションを見つける。
「影響を受けながら独立している」そんな感じか。
そして最後に、末っ子は兄たちが嫉妬するような結果を、しっかり残している。子供時代には、明らかに兄たちが中心だった世界が、大人になると、いつの間にか末っ子に、兄たちが頼るぐらいの逆転が生まれる。
元旦に行われた天皇杯決勝の延長戦、遠藤保仁の躍動は感動的だった。怪我で痛みを足首に抱えて、途中交代の可能性もあった遠藤が、試合全体を冷静に見た末に、最後にアクセルを踏み、試合を支配した。
クラブワールドカップから、もうずいぶんと日が過ぎたが、僕の中で遠藤保仁の動きが、記憶の中にくっきりと残っている。
それまでも、日本代表とか、ガンバのゲームを実際にスタジアムで見ていたはずなのだが、天皇杯とクラブワールドカップ、これほど強く遠藤保仁が印象に刻まれた試合はなかった。
クラブワールドカップで、遠藤は、とにかくよく動いていた。がむしゃらに走っているわけではないが、よく見ると絶え間なく動いていた。
パスを出すとすぐに場所を変えて、守備でも攻撃でも、常に大事な場面で顔を出し続けた。
遠藤保仁はミッドフィルダーで、そのポジションは、日本で一番競争の激しいポジションだ。ミッドフィルダーというポジションからの美しいパスは、日本サッカーのもっとも優れた点だ。しかし、改めてじっくりと見た遠藤のパスと動きは、ちょっと今までの僕の知っているパスとは違う、、ような気がした。
中村俊輔は、パスを出したあと、パスの効果のほどを、止まってじっと見ている場面があった。小野伸二のパスは、ここぞという場面では、周囲が息をのむほどに効果的だった。中田のパスは、設計図通りに進めば、次の1手でゴールを取れるような迫力があった。僕の記憶の中で、彼らのパスは、ちょっとした作品のように、素敵でわかりやすかった。
遠藤のパスは違う。中田や中村ほど素敵でわかりやすくはない。単体のパスそのものは作品というほどではない。キラーパスとか、ベルベットとか、そういうネーミングがつく感じではない。
一方で、俊輔や中田や伸二が、パスを前に出すのをあきらめて、後ろに戻すとき、そこでプレイのリズムがいったん途切れた印象を受けた。
つまり、「パス」は攻撃の決定的な一手で、それができない、ということは何かをあきらめた、とそんなふうに僕は見てきたように思う。
しかし、遠藤保仁の場合は違う。
遠藤は、時に狭い範囲で、ボールを後方に戻しては、次の展開のために、周りをみて、また動き直していた。ボールを後ろに戻すときでさえ、遠藤がさらに動くことで、次につながる予感がした。
パスをしたら動く「パス&ムーブ」というのは、サッカーの基本なのだが、どうも通常ユースなんかで、コーチが指導するパス&ムーブと、遠藤の動きは、質が違うように思えた。普通のパス&ムーブは、決定的な場面を作るための効果的なスイッチだが、遠藤のそれは次を見ながら、常に動いていく、リズムが刻まれていく感じだ。
クラブワールドカップの記憶は、「遠藤は通用した」という静かな確信の握りこぶしになった。
もちろん、遠藤がマンUにスカウトされて、パクのように大活躍するとか、彼がヨーロッパに移籍するとか、そういう話ではない。
日本チームの、日本人ミッドフィルダーとして、その動きとパスは、十分マンUに通用した、という感触だ。

「時々わたしはナーバスになった。最初のG大阪のシュートは遠藤のパスからで、その時ファン・デル・サールが足でセーブしたのだが、その前のパスは非常に素晴らしかった。(遠藤は)中盤に動いたりスイッチしたりしたので、こちらにとっては問題だった」
ファーガソン監督の試合後のコメント

マンUのパフォーマンスは100%にはほど遠く、ファーガソンのコメントのほとんどが社交辞令だったとしても、遠藤に対してのコメントには、真実が含まれている。
遠藤保仁も、さらりと強気のコメントを口にした。それはいつものことだったが、僕にもその確信は伝わってきた。

「戦い方は十分に通用したと思う。このスタイルで間違いない」
遠藤保仁のマンU戦の後のコメント

遠藤は小野、稲本、高原たちと並ぶ黄金世代の一人だ。しかし、遠藤は常に黄金世代の末っ子のように目立たない場所を進んできた。黄金世代という一括りに、遠藤保仁という名前は入りにくかった。
鹿児島実業で、高校選手権の優勝を経験し、Jリーグの最初の年には、横浜フリューゲルスでスタメンを張ることもあった。世代ごとの代表にも選ばれた。
でも、その年にフリューゲルスがなくなり、移籍した京都もJ2に落ちた。代表でも、遠藤はいつも線上にいて、フィールドに立つメンバーから漏れることの方が多かった。
しかし、気がつくと、レース終盤の黄金世代という言葉が色あせた時期になって、遠藤は静かにその世代の先頭に立った。それは同時に、競争の一番激しい、日本の中盤の先頭でもある。
遠藤保仁の歩みが、末っ子だからと考えるのは、安易にすぎるだろうか?
年上の兄たちをじっと観察するように横目で見ながら、遠藤らしく努力は表に出さず、自然体で、自分のサッカーを作り上げてきた。
パスで周囲を使いながら、遠藤自身も周囲に使われ、最後は周囲すべてが結局は遠藤に頼り切っている。
今年、2009年、ワールドカップ予選が佳境を迎える大事な年だ。2010年までの日本サッカーを考えたとき、遠藤がフル回転できるかどうかは、すごく大きい要素に思える。
遠藤保仁は昨年よりさらに厳しい日程をこなすことになる。今年、遠藤保仁のコンディションを、この日程の中で、保つことができるかどうか、それはとても重要なことだ。


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