指導を経験した人間なら、子供たちに教えるのが、どれだけ大変かわかるはずだ。これを理解しない指導者は、きっといい監督にもなれないんだ。サッカーダイジェスト ジーコ監督インタビュー 「ジーコ監督 中盤を語る」 より
誰の言葉かは忘れたが、「教える」という行為の主導権は、「教える側」にはない、という趣旨の文章を遠い昔に読んだ。
そのころ僕は、まだ子供だったから、ピンとはこなかった。「教える」行為は、「上から下」と単純に思っていたから、そのころ小学生だった僕に、学校の教育の主導権がある、という説には素直には同意できなかった。
それでも、その言葉を印象深く覚えていたのは、「上から下でなく下から上」、という視点の逆転が、ちょっとした興奮を僕にもたらしたからだ。
そして、僕自身、子供を持って下から上の視点は正しいことを知る。子供に教える主導権は、教える側の父親である僕にはないことを、痛いほど思い知る。
少年サッカーの現場でも、はっきりとわかる。
子供たちが学びたいと思ったときから、「教え」が可能になり、その逆はない。コーチに教える権利を付与するのは子供のほうだ。
同じ少年サッカークラブであっても、「教える」権利を子供たちに与えられているコーチと、その逆に、「教える」権利を子供たちに認めてもらっていないコーチがいる。
教えるのが下手なコーチは、「俺の教えに従わない近頃の子供はとんでもない」とぶつぶつ文句を言っているような按配だ。
いっぽう、同じ子供たちの前に、別のコーチが現れて、言葉を発したとたん、それまでだらだらしていた子供たちが、「学ぶ意欲」を見せ始める。
決して、そちらのコーチが恐いわけでも、強制力を持って接しているわけではない。むしろ、その逆だったりする。
だいたい、指導のうまいコーチは、子供をよく見つめ、そして本人が気づく瞬間まで、待つことを心得ているように見える。
日本代表でも、Jリーグのクラブでも、同じ選手構成なのに、指導者が変わったとたん、強くなるチームというのがある。
結果論として指導者としてのすばらしさが語られるから、「強くなるテクニック」なるものを聞き出そう、と思うのだが、さまざまなそういった監督へのインタビューを読み重ねると、そこにマニュアルに描けるテクニックがあるわけでは無い、ということに気づく。
彼らの第一歩は、まずメンタルの改善を成功させることからスタートする、と言う点で共通している。
目の前にいる選手たちは、学ぶ意欲があり、うまくなりたい、強くなりたいという意思が常にある。その思いをタイミングよく引き出すとき、がらっとチームの雰囲気が変わり、周りからはマジックが起きたように見えるのだろう。
ジーコの監督としての能力には、誰しも疑問を持っている。彼には、現代サッカーが必要とする理論的な積み上げが、圧倒的にかけている。
それでも、ジーコを無能な監督として放り出せないのは、一つは結果が出ているからだが、世界のジーコが放つ言葉に、本質的な真実がきちんと含まれているから、というのもありそうだ。
選手だけでなくファンも含めた日本のサッカー界が、彼の経験を学ぼうとしているから・・・とそんな気がする。
子供を教える難しさを知っているものは、基本的に「人に教える」本質を理解している。そうジーコは言っている。
それは、「教える側に主導権がない」ことをよく知っているのだ、と僕はそう理解した。
そういう本質を理解していなければ、たとえ理論がしっかりしていても、決してよい監督にはなれない。
もっともジーコの言葉には、理論と戦術が先行した前任者への批判も、無意識に含まれているのかもしれない・・・そのあたりの子供っぽさも彼の魅力の一つだ。
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