「読売は地獄に落ちたオレを救ってくれたチーム。だから、チームがおかしいって思ったら、見ちゃいられないこともあった」
ラモス瑠偉著「ラモスの黙示録」より(ザ・マサダ)
今まで関東近県の練習場やジュニアユースの施設を何度か訪れてきた。鹿島アントラーズ、横浜Fマリノス、浦和レッズ、ジュビロ磐田、清水エスパルス、FC東京・・・
ヴェルディの練習場は読売ランドにある。
まさに遊園地の中にあるから、サッカーの練習中も、ジェットコースターに乗る少女たちの悲鳴がコダマしている。芝のグラウンドのすぐ横には、大きなゴルフ練習場があって、ゴルフのドライバーがボールを叩き上げる音が延々と響いている。
そんな環境にあるから「ゆるい感じ」か、というとそんなことはない。
そこにはちゃんとヴェルディの緊張感があり、歴史や重みがしっかりと刻まれているという印象があった。
うまくは説明できないが、ヴェルディのその場所は、独特の空気を持っていた。
ある日、ヴェルディの練習場を訪れたとき、緑のユニフォームをきた1人の中学生が、シューズを手に持ったまま、ひざを抱えて泣いていた。
ヴェルディの育成部門は名門で厳しい。少年の受けているプレッシャーは想像を超えるものがあるのかもしれない。それにしても、声を出して泣くなんて、、、、
ヴェルディがJ2に降格した日は、わかっていてもショックだった。
確かにここ数年のヴェルディの状況はよくなかった。
とはいえ、まさかこのチームがJ2に落ちる日が来るとは思ってもいなかった。
そして、ラモスが監督になったと聞いて「ああ、とうとうそういう日が来たか」と思った。
1977年20歳のラモスが、日本に来た目的は「お金」だったと自分でも言っている。30年近くの日々が過ぎ、今やラモスは日本人の誰よりも日本と日本のサッカーを愛する男になってしまった。
今や知る人は少ないだろうが、ラモスは来日してすぐに「一年間の出場停止」という重い処分をくらったことがある。
「一年間の出場停止」
いやはや、とんでもない罰だ。サッカー選手生命の短さを思ったとき、「一年」の重さは計り知れない。
「あれはデビューして6試合目のことだった。オレ一年間も出場停止を食らったんだ。もうこれで終わり、読売は契約を取り消すだろうと思った。一年も出れない選手を遊ばせておくなんて、ブラジルじゃ考えられないことだからね」
でも、ヴェルディはラモスを見放さなかった。ラモスも踏みとどまった。
「読売は地獄に落ちたオレを救ってくれたチーム。だから、チームがおかしいって思ったら、見ちゃいられないこともあった。(中略)読売が嫌いになったことはない。嫌いになれって言ったって、なれるわけないよ。心底愛しているんだから」
このインタビューが1999年。
そして、それから7年が過ぎて「見ちゃいられない」時期がやって来た。
ラモスがヴェルディの監督になることは、だからこういう時期でしかありえなかったはずだ。
ヴェルディはJ2でも思うようには勝てていない。ラモス監督は当分、苦しみそうだ。
「現役の時の方がずっと楽。とにかく疲れた」
それは疲れるでしょう。
監督姿のラモスがテレビに映るたびに、選手に注ぐ、切迫した真剣な目が印象に残る。
チームの成績とは別に、ラモスの情熱が、今のヴェルディの状況を少しづつ変えていくような気がする。
どこよりも少ないサポーターが、今は少しづつ情熱を持ち始めているようにも見える。
そうそう、、、練習場の横で泣く少年を、もしラモス監督が見かけていたなら、僕とは違って、きっと声をかけていたでしょうね。
そして、ラモスに声をかけられた少年は、きっと涙を拭いて立ち直っていくような気がする。
ラモスに声をかけられて、少年は間違いなく強くなっていく。
ラモス監督の最初のシーズンが終わったとき、きっとヴェルディは、今までにない「強さ」を手にしている。そんな気がする。
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