「サッカーはシンプルで美しい。複雑にしようとする人も いるが、それは許されるべきではない」ディエゴ・マラドーナの名言
「考えすぎていたかも」
ある日、サッカー少年が、地域のサッカー大会で大事な試合に負けたとき、数日後に彼がそういった。
サッカーはとても楽しいスポーツだが、それでも辛い時は徹底的に辛い。たとえ小さな少年サッカーの大会だろうと、受け入れがたい負けもあって、子供なりに、そういう時には何も話したくない、という気持ちになる。
これでこの子はサッカーが嫌いになってしまうのではないかと思うほど、体中に怒りと悔しさを滲み出していて、見守る大人としてはかける言葉もない。
それでも、次の練習の時には、あの怒りは何だったの? と思うほど子供たちは楽しそうにボールを蹴り始める。
理屈ではないのだろう。どんなに辛い試合の後でも、サッカーを嫌いになることはできなくて、ボールに触りはじめると自然に笑顔が戻ってくる。
「サッカーはシンプルだからさ」と言うと「わかってるよ」と言葉が返ってくる。
「シンプル」という単語はよくサッカーの世界に登場する。オシムだって、ベンゲルだって、モウリーニョだって、実によく使っている。よく使われる、ということは、逆に言えばそれがなかなかできないからだろう。
「日本人のシュートが下手なのは頭がいいからだよ」とドイツ人の知り合いに言われたことがある。変な理論だな、と思ったが、確かにそうかもしれない。
細かなことまで気がつき、丁寧に細部を仕上げる才能が日本人には、あるだろう? それがサッカーでは災いしてしまうんじゃないかな。シュートの前にあらゆる可能性を考えて、それでパスをしたり、肝心なシュートが弱くなったり・・・
つまり、頭がよすぎて、サッカーが複雑になっちゃうのさ、と明快に彼はそう言った。
そうだよな、と僕はうなずく。
あらゆる細部を埋め尽くした後に、肝心なことが忘れられている。そういうことは、サッカーだけじゃなくてもよくあるな、と僕は自分の仕事を振り返ってそう思う。
大規模なシステムを導入するとき、徹底的に細かなカスタマイズをお金をかけてやりつくして、出来上がってみると、遅くて誰も使えないシステムになっている。誰もが一生懸命働いたのに、肝心なことが駄目なシステムになっている。そんなことは日本のシステムプロジェクトの中では割とよくある話だ。
「シンプルが一番難しいんですよ」
場面は変わって、西麻布のイタリア料理店。僕はパスタを作るのが好きで、わざと仕事の中に有名イタリア料理店の取材を盛り込んだときがある。
その有名シェフが作ってくれたのは、ペペロンチーノというとても簡単なパスタだった。にんにくとオリーブオイルと塩と唐辛子で作り、具は一切入っていない。
それでも、そのシェフは、この簡単なパスタが一番難しくて奥が深いと、そんなことを話してくれた。
もちろん、味は絶品で、ほめ言葉さえ浮かばないくらいのおいしさだった。
そして、そのとき一番ショックだったのは、実に普通の道具と材料を使っていたことだった。有名シェフだから、きっと特別なものを使っているのだろう、とスパイのような気持ちで厨房に入ったのだが、そのたくらみは綺麗に裏切られた。
シェフが使ったパスタは、僕が家で使っているのと同じディチェコだった。塩もオリーブオイルもそれほど特別なものではない。道具だってもちろんただのフライパンだ。
料理の良し悪しを決めるのは、塩と火加減で、そこには秘密の材料も高性能のシステムも必要ではない。
僕がそのことを指摘すると、だから難しいし、面白いんですよ、とそのシェフは笑い返した。
「あまりね、考えすぎるとよくない」
そう言って塩を手で振る仕草をしてみせた。もちろん、塩の分量なんて量らない。掴んだ塩をパッパッと振る。
「迷うと不思議とそれが味に出ちゃうんです」
ワールドカップの1つの試合が終わった。結果はひどいものだった。もうあまりごちゃごちゃ迷う必要が無い。そういう状況に日本は追い詰められた。でも、それはいいことかもしれない。
僕らと僕らの代表のために、サッカーの神様が用意したのは、とてもシンプルな座席だから。
シンプルに、シンプルに・・・
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