「いつかJリーグでマリノスとの試合を見てみたい」インプレス インターネットマガジン 99年6月号 当時横浜FC設立時の経営陣の言葉から
天気のよい冬の日曜日、僕は東京の高級住宅街にある駒沢オリンピック公園にある陸上競技場に足を運んだ。
そこでは、JFLのゲーム、佐川急便東京とFC刈谷の最終戦が行われていた。
観客は700名。両チームのサポーターとおぼしき軍団は、両チームを足しても50名程度という試合だ。
JFLは、J1、J2があるJリーグのその下の組織で、基本的にはアマチュアの選手、チームで構成されている。今年は18チームがホームアンドアウェイで2回戦の総当りのリーグ戦を行った。
Jの下に位置するからといって、すべてのチームがJを目指しているわけではない。
今年優勝を決めたHondaFCは、優勝してもJにあがる意思は示していない。Jを目指すチームにとっては目の上のたんこぶのようなチームだ。
一方、J昇格を念願としているロッソ熊本は、残念ながら順位が5位に終わっている。
冬の暖かな日曜日、僕の目の前で闘うJFLの2チームも、思いはJリーグ昇格とは別にある。
佐川急便東京は、Jリーグ出身の選手も多く、今年も2位の成績でJFL強豪の一角を占めている。しかし、企業の論理なのか、来年は佐川急便大阪という兄弟チームと合併し、滋賀県にホームタウンを移すことになった。滋賀県というサッカーどころで、地域に根ざすサッカーをイチから目指すという。
一方のFC刈谷は、愛知県の刈谷というサッカーどころのチームだが、Jリーグ入りを目指さずに、地域-特に地域の子供たちに浸透するサッカーを目指している。
選手やスタッフには愛知県や刈谷市出身の選手が多くいて、地域の子供たちも参加したイベントなども数多くこなしているらしい。
今年は13位でシーズンを終えた。
さて、サッカーの方は、1-1の引き分けだった。両チームともほぼ順位が確定した消化試合だったが、最後は勝って終わりたい、という思いがゲームに出て、特に後半は気持ちの入ったサッカーが展開された。
今年もJリーグが終わり、J1では浦和レッズが優勝した。
浦和レッズ優勝のスタジアムを見た後に、JFLのスタジアムに足を運ぶと、U2のコンサートとライブハウスぐらいの違いが感じられる。
もちろん、日本代表やJリーグに比べればサッカーの質は劣るが、至近距離で、グラウンドの声や音がよく聞こえてくる。
「もう一回やったら駄目だからね!」とファウルをとがめる審判の声がそのまま聞こえ、「そこはつなぐんだよ。放り込んじゃだめだよ」というあながち間違いとも思えない観客の指示もよく聞こえる。
浦和レッズの優勝は、Jリーグにとって大きな事件だ。
過去何度もこのチームのゲームをスタジアムで見てきた。
目の前でヴェルディに優勝を決められる試合があって、僕はスタジアムに座って、サポーターの怒号を聞いてきた。
いつかはJで優勝し、常勝チームになる、という浦和レッズの思いは限りなく遠かった。
「生きているうちに優勝が見れるなんて夢のようです」
そうコメントしているサポーターがいた。
彼らの思いは、実現するまでに13年の歳月を有した。設立当初のスタッフも選手も多くが入れ替わったが、チームには変わらぬ思いがずっと流れ続けた。
J2では横浜FCが優勝した。
この横浜FCの設立には、僕なりの思い出がある。
98年、フリューゲルスがマリノスとの合併で消滅してから、横浜FC設立までの経緯を取材した「横浜FC誕生までのの100日間」という文章を雑誌に掲載した。僕がライターとしても活動をはじめる、きっかけの文章だ。
横浜フリューゲルス合併反対の署名運動が全国で起こってから、横浜FCが設立されるまで、その過程にインターネットが大きな役割を演じていた。
当時よちよち歩きだったインターネットというメディアが社会に関わった象徴的な事件に、僕には見えた。
当時、僕は超人的に忙しい会社に勤めていたが、どうしても、そのことを記事に書きたくて、無理やり雑誌社に頼み込んで記事を書かせてもらった。仕事の合間を見て(本当は合間なんてなかったのだが)、練習風景や設立時の経営陣に取材を重ねた。
もうそのころの設立メンバーは横浜FCにはほとんど残っていない。特に経営陣は総入れ替えになっている。当時、彼らが無邪気に口にした、いつかはJ1へという願いは、8年の歳月を経てやっと実現された。
サッカーチームがあれば、そこには「思い」がある。「思い」があるからチームがあり、スタッフや選手が集まってくる。長い間に、選手もスタッフも入れ替わっていく。思いを実現できずに去っていく人々もたくさんいる。それでもその思いはチームに流れ続けていく。
企業の都合でホームタウンを移す佐川急便というチームにも、志賀県に移っても続けようという人々の思いがある。
刈谷の子供たちが、FC刈谷の応援に駆けつけて、スタジアムをいっぱいにするという思いも、いつかかなえられる日が来るだろう。
不思議な話だが、人がたとえ離れていっても、その人々の思いはチームに残っていくのだと、僕は駒沢のスタジアムに座りながらそう思った。
それらの人々の思いが積み重なって、やがて小さな歴史が作られる日が訪れる。
浦和レッズだろうと、FC刈谷であろうとそれはきっと変わらない。
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