いったい誰の日本代表か? その2 日本のサッカーは見つかるか?
困難なことは分かっているが、私は自分たちのサッカーに自信を持っている。2006年06月21日 ワールドカップ ブラジル戦前日 ジーコ監督会見前回のコラムの続きだ。 今回気になったのは、「自分たちのサッカー」という言葉だった。 「自分たちのサッカー」という言葉が、選手の口から、ジーコの口から、代表スタッフのコメントとして、何度か聞かれた。自分たちのサッカーは、今回のワールドカップにあったのかな・・・
困難なことは分かっているが、私は自分たちのサッカーに自信を持っている。2006年06月21日 ワールドカップ ブラジル戦前日 ジーコ監督会見前回のコラムの続きだ。 今回気になったのは、「自分たちのサッカー」という言葉だった。 「自分たちのサッカー」という言葉が、選手の口から、ジーコの口から、代表スタッフのコメントとして、何度か聞かれた。自分たちのサッカーは、今回のワールドカップにあったのかな・・・
「トルシエジャパンとかジーコジャパンとか、今度はオシムジャパンとか、いったいジャパンは誰の持ち物だって言うんだ!」都内の飲み屋で愚痴を言っていた人の言葉。 少し離れた席で聞いていて僕は「なるほど」とうなずく。ジーコの日本代表がなんだったのか考えなければいけない、とそう思いながら時間が過ぎた・・・
「私は日本でサッカーを指導したい。できればプレイしてもいい」 17年前の埼玉の少年サッカーでのジーコの発言。「神様ジーコの遺言」岡 邦行 著(三一書房)よりジダンはいったん表明した引退をひるがえした。そして、ワールドカップが終わったあと、日本のJ2、サガン鳥栖でプレイすることを決めた・・・
指導を経験した人間なら、子供たちに教えるのが、どれだけ大変かわかるはずだ。これを理解しない指導者は、きっといい監督にもなれないんだ。サッカーダイジェスト ジーコ監督インタビュー 「ジーコ監督 中盤を語る」 より
「飛行機がもう少し早く飛ぶ時代になれば、南米とヨーロッパと日本が近づいてもっと発展できるのではないか」 オシムの記者会見 2005年6月11日 JリーグヤマザキナビスコカップCグループ第6節昔、最初のワールドカップに出場するために、ヨーロッパのチームは船に乗って出かけていった・・・・・ いまや、シーズンオフには、ヨーロッパのチームがこぞって日本にくる時代になった・・・ ヨーロッパとの距離がもっともっと縮まっていけば・・・
中田英寿の場合、どのポジションでも全身全霊で戦うタイプの選手だと思う。 そういった意味で、今回彼が帰ってきて、この2試合をやったことは、彼の中に大きなものがあったと確信している。自分に与えられたものの中から、常にチームへの貢献を考えて積極的に行う。もちろん、試合の中でも。ジーコ バーレーン戦後の記者会見から スポーツナビ 2005年3月31日ジーコは、中田を信じている。 なぜなら、彼には強い気持ちがあるからだ・・・・
観客が騒いだりすることに関して、気にしたことはありません。苦しかったのは、ピッチの状態が良くない試合でした。そういう会場にしたのでしょうが、厳しさを感じたのはむしろ、そういう試合です。サッカーマガジン 1019号(2005年4月5日) ジーコ インタビュー何気ない言葉だけれど、きっとかなり真実なのじゃないか・・・